Unconscious Bias

ぼくの中にある「偏り」


思えばずっと この「偏り」に振り回されてきた

ぼくが生きてきて 嬉しかったこと 悲しかったこと

様々なぼくの感情もまた その根底にあって 強い影響を及ぼしてきた

この「偏り」


思えばずっと この「偏り」を克服すべく葛藤してきた


例えば

自分の失敗はまわりのせいにするが 他人の失敗はその当人の問題とみる


この偏り

電車が遅延して大事な会議に遅刻してしまった…とする

ぼくは遅刻の理由を「電車遅延」という外部に原因を定めた


ある別の日

同僚が遅刻してきた

同僚は電車遅延を理由にしていたが ぼくの目には その同僚は

ぼく以上の頻度で遅刻する

ぼくには その同僚がだらしなく映った

つまり 遅刻の原因は同僚自身の問題にあると感じた



社会心理学者リチャード・ニスベットは、このような事例を

「行為者・観察者バイアス」と提唱した

自分が行為者のとき うまくいかない原因を外部に求めるが

自分が観察者のとき うまくいかない原因を観察対象の内的(能力等)

に求める傾向が強く働くというのだ



「偏り」=バイアスは 人の感情や思考の数だけ様々な種類がある


ぼくの中にある 思い込み 錯覚 誤認識 決めつけ…


年初にあたり

ぼくの中にある様々な「偏り」をいくつ捉えることができるか?

挑戦していきたいと思う

「偏り」を消滅させることが挑戦の中身ではない

「偏り」の存在は否定できない…なぜなら 偏りそのものが ぼく自身であるからだ


「偏り」を発見することが挑戦の第一歩なのだ

その「偏り」を客観的に見つめ 異なる他の見方を考察する

そして 自身の偏りと他の異なる見方の両方を総合して

偏りを超越していく


さて…言うは易しである…

green trees beside the rocky river
bias?

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