ぼくはよく推測してしまうクセがある…
ネガティブな表現だが
正直、こんな自分が嫌になる時がある
もちろん、推測することは良し悪しがあって
一概に悪いこと、というわけではないが
良く推測することより
悪い推測になってしまっていることの方が多い
推測…というか…憶測と言い換える
きみはこんなことあるだろうか?
「想像したことと結果は真逆だった…」と
さして根拠もなく、楽天的に良い結果を憶測した先に
悪い結果、受け入れがたい現実を突きつけられる
逆に、悪い結果を憶測した先に、良い結果が訪れることもある
でも大抵は、良し悪しの両方を憶測しても悪い結果の方が多いかもしれない
あんなことや、こんなことを毎日、憶測しているうちに段々疲れてきた
ある人は言う
「どんなときも、希望を持とう」と
ぼくは昔からこの言葉にある種の猜疑心を持ち続けてきた
希望を持っても、未来はその通りになるとは限らないじゃないか、と
希望を持つことに、一体なんの意味があるのか?と
だから、もう憶測するのも、希望を持つのもやめよう…と
別なある人が言った
「物事には道理があって、今の結果は過去の原因によるものだ」
またある人は言った
「単純な因果関係だけでは説明できないことも多い
そこには『縁』という見えない作用を無視することはできない」
そしてある人は言った
「目先の利を期待することを希望というのではない
それはどちらかと言えば、欲望だ
また、自分にとって都合が良い未来を期待することを
希望というのではない
それはどちらかと言えば、願望だ
真の希望とは
身近な人たちとともに、お互いに励まし合い
より良い自分へと成長していこうと前向きに
生きようとする大きな願いをもつことだ
言い換えれば、自分史上最大にして最高の願い
とも言える」
小さな自分がする憶測ではなく
小さな自分を脱却しようとする心のあり方と行動の中に
希望は存在するのかもしれない…