Work

人生100年時代

世の中は新しい考え方や価値観が登場し

多様性の度をましている

選択肢が多いことは歓迎すべきことだろう

けれども体はひとつ

持てる時間は有限だ

どのように身を処していくかは

つまるところ一択になる


人の数だけ様々なライフスタイルがあり

相対的な評価はできない

幸福度という言葉があるが

これも主観なので

一律定義できるものではない


そんな選択肢に溢れ、幸福の基準などない世の中で

一体、ぼくはどこへ行こうとしているのだろうか…

サラリーマン時代は組織の論理や社会の枠組みに

無意識に準じていればよかった

定年まで働き、その後嘱託かバイトで年金まで食いつなぎ

年金がもらえればその範囲で暮らしていく

それまで税金を納め、保険料を払い、残りのお金で暮らしていく

足りなければバイトでもしながら…


そんなことを漠然と想像していた…

でも、こんな無機質なストーリーはリアリティのかけらもない


ぼくの日常は、もっと喜怒哀楽があり、いつも悩みの連続だ

機械的に流れていくのは時間だけで

その上に乗っているぼくは感情のある生き物だ

悩みたくないし、苦労もしたくない

でも、悩みはなく、苦労もない毎日って



本当にぼくが望んでいる日常なのだろうか?

働かずとも食べていける日常って

本当にぼくが望んでいる日常なのだろうか?




朝、目覚めたとき

ぼくがやるべき仕事があるとすれば

それは

ぼくにとっては幸せなことなのかもしれない…

photography of forest
Photo by Felix Mittermeier on Pexels.com

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