9.11から20年
米国大統領はメッセージを寄せ「団結」を訴えた
ぼくは「団結」という言葉に違和感を覚える
たぶん…団結という言葉には内向きな響きが見え隠れしているからかもしれない…
為政者にとって団結とは非常に都合の良いキーワードだ
自分の足元を固めるためには共通の価値観を明示し糾合していくことが常套手段だから
他人に何かを期待するのが人間の性ならば
為政者は民衆の支持を得るためにトレードを提案する
そうして互いのメリットが明確になったとき…団結は生まれる
しかし、団結とは限定的なものと言わざるを得ない
一部の結束は同時に他を排除するエネルギーでもある
なぜなら、メリットそのものがデメリットと背中合わせのものであり
切り離せない関係だからだ
テロリズムはいわば、こうした一部の団結主義へのアンチテーゼなのかもしれない
彼らは自身の死をも引き換えにして攻撃をしてくる
そこにはメリットなどない…にも関わらずだ
いや…彼らなりのメリットがあるのかもしれない
幸福感や満足感を抱いて死んでいったのなら…
真のテロリズムの克服は、相手を敵視し打倒することではない
問題の原因をみつめ、一人ひとりが行動変容と相互理解を繰り返していくしかない
そのベースは、忍耐と寛容さだと
ぼくは思う
世界はすでにボーダレスになっている現代で
ひとつのイデオロギーに糾合しようとするロジックは
もはや成り立たないことを知るべきだ
と思う…
solidarity…連帯。
友好を拡げていく忍辱の行動。
団結よりも連帯へ。